最愛の妻はマルファン症候群でした  泣きながら生きていく

兵庫県の僧侶です 日記代わりに愛別離苦を経て思うことを記録します

令和2年9月21日 彼岸会

自坊にて、今年の秋彼岸会法要を勤めました

 

従前であれば、布教師さんをお招きして二席の法話(一席60分)をして頂きます。そしてご先祖さまの塔婆供養と計4時間ほどの法要でした。しかし今年はコロナのため、密になってはいけないので、法話はなし、塔婆回向のみでお檀家さんには御焼香をして頂き速やかに帰って頂きました。

 

彼岸とは彼の岸、つまり西方極楽浄土を示します

彼岸とは正式には到彼岸 と言って、真西に沈む太陽を見て、①西方の彼岸に居られる先立ちし大切な人のことを思う

②沈む太陽に自分の命の無常を重ね、命終わったあと彼岸に到るまでの方法を探し、実践する

 

その一週間の期間です

妻は無になったわけではない、迷いの世界にいるわけでもない、今は苦しみのない彼岸にいていつも僕を見守ってくれてる

そう思えた日でした
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令和2年9月18日 サイゼリヤにて

今日、夕方に歯医者に通院した。

そういえばこの歯医者さんも、妻に紹介してもらったんだっけ。

 

今日で治療終わった。

祝盃を上げるべく

近くのサイゼリヤに行った。

サイゼリヤ飲みが流行ってるみたいよ」

妻の言葉を思い出す

結局、妻と行くことはなかった。

 

今日、初めてサイゼリヤ飲みをした

サラダやサラミやエスカルゴ?などとても一人では食べきれない量を頼んだ

ビールとワイン 

コスパ良すぎる

二人席に一人。向かいには妻はいない。

DAZNプロ野球を見ながら、ただただお酒を飲んだ
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令和2年1月12日


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朝起きたらすごくしんどい。

昨日盛り上がりすぎたからだろう。

 

今日はお葬式1軒と法事が三軒

西宮、宝塚、高槻と行かねばならない

慌てて準備をしてるなかで階段の踊り場で足を滑らせて腕を強打。泣きそうなくらい痛い

「Sさん(妻の名字)助けて」と無意識に言った

一瞬折れたかと思ったけどなんとか大丈夫。痛みを抱えたまま仕事に出た。

 

確か、Sさんは今日は友達の家に行って泊まると言ってた

僕は夕方まで法務をした。夜は地域の新年会。

保護司をしている僕はその会に出席しなければいけなかった

体は疲れきっていた

令和2年1月11日


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新年早々、地域のお坊さんの寄り合いが

自坊でありました。

会議をして、その後、食事をして親交を深めるのが目的です。

 

お坊さんは本堂一階ホールで食事を、母親と妻は庫裏(お寺に住む人のプライベート空間)で我々とは違うお弁当を食べました。

鰻とかお刺身とか妻の好物がぎっしりで

喜んでました。

 

お坊さん同士の会話が盛り上がり、11時くらいにお開きになりました。

庫裏に戻ったら、「妻はマンションに帰った」と母親から聞きました

(妻と私はお寺から10キロほど離れたマンションにすんでました)

今日は遅くなったので、妻もお寺に泊まるだろうと思ってたけど、帰ったと聞いて、何かしらすごく寂しい気持ちになりました

こんな気持ちになったのは初めてでした

 

僕はしんどかったのでお寺に泊まりました